夕闇迫るキングストン・ビーチ──。
 サンセットの美しさは、世界でも5指に数えられる。
 海沿いのカフェ・バーやレストランは多くの観光客でにぎわい、砂浜では甘いささやきをかわす恋人たちがそれぞれの思い出作りに忙しい。
 レゲエで有名なジャマイカだが、ことこの浜に関せば、昨今では世界中のありとあらゆるミュージック・スタイルが集う。

 その店『レモニー』のステージでは、サルサ・バンドが警戒なリズムを響かせていた。客の大半は観光客で、中には東洋人の姿も見える。色鮮やかなカクテルにたいまつの光が揺らぐ。柔らかな時間が流れていた。
 その男は、一人でやって来た。
 ステージ近くのカウンター席に座り、シャンパンを注文した。
 ベースボールキャップにサングラス、皮のボレロにTシャツ、ひざまでの麻のパンツに皮サンダルといったいでたちだ。
 肌はたくましい褐色、かなりごつい上背で、鍛えられた腕が覗いている。
 シャンパンを一口であおり、サングラスの男はステージを見た。体が自然にリズムを取っている。バンドは演奏を終え、次の曲を始めた。

 しばらくしてもう一人、妙に落ち着かない男が入ってきた。アロハ・シャツを着た小太りのその男は、せわしなく店内を見渡したかと思うと、がっくりと肩をうなだれ、カウンターの端の席に情けない顔で腰を下ろした。
 店のマスターが満面の笑顔で近寄ってきた。
「やあ、リック!久しぶりじゃないか!」
 ゆっくりと顔を上げたその男、リックは、マスターとは対照的に、今にも泣き出しそうな顔をひきつらせて言った。
「どうもこうも、ないよ。何で俺はこう、ついてないんだ……」
「おいおい、どうしたんだい?」
 そういいながらもマスターは、さして心配している様子でもない。どうせ賭け事で負けたか、女房にヘソクリを見つけられたか、そんなところだ。
「まあ落ち着けよ、一杯いこう。半年ぶりだなぁ」
「これが、落ち着いていられるかッ!」
 叫ぶと、リックはマスターの差し出したダブルのウイスキーを一気に飲みほし、むせ返った。
「今度は何だい?君んところは、最近相棒が売れていて、羽振りがいいそうじゃないか。金に困ってる訳じゃないんだろう?」
「その相棒が問題なんだよッ!」
「えっ?」
「相棒が……ディージェイのやつが、消えちまったんだぁ!!」
 ディージェイ。このジャマイカで彼の名を知らない者はいない。1年前、彗星のごとく現れたトップ・ミュージシャン。コンサートは常に超満員、出すCDは全てミリオン・セラーというスーパー・スターだ。
 リックは4年前からの有人で、現在、彼のマネージャー的な仕事をやっていた。といっても、ディージェイ自身はかなりアバウトな性格で、仕事にしろ遊びにしろ気分の赴くまま好き勝手にやっている、という感があり、リックに対しても自然体のつき合いだった。とまあ聞こえはいいが、ようは適当、まったく有名人らしからぬ性格が幸いしてか災いしてか、ディージェイとリックの関係は出会った頃からなんら変わる事はなかった。
「消えた……って、いなくなったってことか?」
「そうだよ!あいつがキックボクシングをやってるのは知ってるだろう?今日はその国内大会があって、あいつもそれに出てたんだ。そしたら、試合の最中にイキナリ飛び出して、それきりさ。
 当然大騒ぎで、探し回ったけど、既にホテルの荷物も引き上げられてて……チクショウ!」
 リックにしてみれば、まったく思い当たる事のない事件だった。
 今まで何の問題もなくやってきたのに……八方手を尽くして探し回り、最後の手がかりとして、リックとディージェイが出会ったこの店にいるかもとやって来たのだ。
 望みを絶たれた彼は、もう酒を飲むしかなかった。

 そのときだ。
 鳴り響いていたギターの音が突然、消えた。
 客が一斉にステージを振り向くと、ガラの悪い連中が5〜6人、ステージのバンドマンを押し退けて上がり込んでいた。
 そのうちのひとりが、アンプの電極コードを引き抜いていた。
「またか……」
 マスターがつぶやく。
 ここ2ヵ月の間、3日とあけずにやって来る連中だ。キングストン・ビーチの観光客相手の飲食店は、地元マフィアの格好の稼ぎ場所になっていた。用心棒を無理やり雇わせ、高いカネを巻き上げる。
 それでも、それ以上の事をする訳でもないので、辺りの店はしぶしぶ彼らの要求を呑んでいた。そうした方が安全だし、トラブルも避けられる。ただ、最近になって、店内で怪しい取り引きをすることが多くなっていた。『レモニー』は、そんな彼らの半強制的な要望を今もってはねのけていた。音楽と笑いとうまい酒が売りのこの店に、そんな無粋な連中が徘徊する事をよしとしなかったのだ。
「悪いな、マスター!オレぁ静かに飲むのが好きなんだ!客の頼みは、当然聞いてくれるよなァ!ガハハハ!」
 おびえる客がステージを遠巻きに退いている。その真ん中で、派手な紫の趣味の悪いスーツの男が、下卑た笑いをあげて座っていた。
 店内が静まり返る。
 マスターが、今夜こそはと意を決し、カウンターを出て紫スーツの男に近づく。
「悪いが……引き取ってくれ!みんなが迷惑する!」
「おい、聞いたかよ!客に向かって、出ていけとさ!ゆっくり酒も飲めやしねえ。こんな店に、金払うこたぁないぜ、みんな!ガハハハ!」
 ガタイのでかい連中がマスターをにらむ。目を伏せるマスター。ぐっと拳を握って耐える姿を、リックは心配そうに見ていた。
 そうだ、警察に──と思ってカウンター奥の電話の方を見たが、連中の一人が受話器を振り回してニヤリと笑っていた。
「マスターさんよ!こんな調子じゃ、商売あがったりだろ!どうだい、今夜こそ決めちまいなよ!俺たちを雇えば、店は安全、商売繁盛!言うこたないぜ!」
「ちょっと待った!」
 その声はカウンターから聞こえた。サングラスの男だ。
 それを見て、リックは思わず「あっ」と叫んだ。振り向いたマスターも同様だ。
「なんだ、てめえ!」
 さっきまでのヘラヘラ笑いをやめ、スーツ男はすごみをきかす。サングラス男は上着を全部脱いで立っていた。あまりに見事な筋肉。これ以上はないというイカシた笑顔を決め、スーツ男を指さした。
「あんた!俺と踊ろうぜ!」
「あ!?」
「今夜は、特別な夜だ。こんなに静まり返ってちゃあ、つまらない」
 サングラス男は、マスターとリックの方を見て、親指を立てた。
「マスター!ミュージック、頼むぜ!」
 リックは全て承知した、という合図をサングラス男に返した。あの親指の合図は、ダンスの始まりの合図だ。リックはカウンターの奥に回り、CDプレイヤーにパワーを入れた。大音響が店内を貫く。
「ふざけやがって!オイ、やっちまえ!!」
 スーツ男の合図で仲間たちがサングラス男に飛びかかる。待ってましたと言う表情で、サングラス男は叫ぶ。
「Yah───!!」

 その動きは、ダンスそのものだった。伸ばした足が、手が、次々を襲いかかる男どもをはねのけ、倒してゆく。スネアドラムの響きに合わせてパンチが決まる。
 周りの客もすっかり興奮していた。
 客の一人がふと気づく。
「この曲は『Maximum』……ってことは、アイツは……ディージェイ!?」
 曲が盛り上がり、ラスト・フレーズに近づく。チンピラたちはすっかり倒され、残るは紫スーツの男だけになった。おびえて逃げ出そうとするスーツ男。
「たっ……助けてくれェ!!」
 曲のラストに、ディージェイのアッパーカットが重なる!
「DaDaDaDaDaDaDaDaDaDah───!!」
 スーツ男がぶっ飛びるのと同時に、曲は終わった。

「ディージェイ!ディージェイ!」
 もうすっかり正体がばれてしまった。ディージェイコールが沸き起こる。ディージェイに駆け寄るリック。
「ここにいたのか、ディージェイ……」
「ああ、ここは俺とおまえの、記念すべき出会いの場所だからな!」
 リックは思わず嬉しくなった。ディージェイは、俺をほっぽっていった訳じゃなかった。やっぱりコイツは、最高の相棒だ!
「さあ……戻ろうぜ。みんなが待ってる。ファンだって心配してるぜ」
「いや……悪いが俺は帰らない」
「えっ!?どうして!?」
「また、新しいインスピレーションがわいてきたんだ。まったく新しいリズムが」
 それを聞いてリックは頭を抱えた。また、コイツの悪いクセが始まった!
「心配するな、次のコンサート・ツアーまでには戻るよ!じゃあな!」
「お、おい!待てよ!次の新曲のレコーディングは、どうするんだ!!」
 ディージェイは取り巻く客を飛び越えて、店から出た。ゴールドパープルのオープンスポーツがタイヤをならして遠ざかっていった。
 リックはガックリとうなだれて、ひざをついた。
 マスターが声をかける。
「ああなったら、どうにもならない……確か、そうだったよな、リック!」
 ためにためて、遂にリックは泣き出した。
「ディ〜〜ジェ〜〜イ!!!」