MOWスタッフがカインを、否定されるべき存在としての悪役にしているかというと、私にはそうは感じられません。それはテリーED・ジェイフンEDで見られるロック・テリー・ジェイフンの葛藤に現れていると思います。そう言う意味で、私にとっては制作スタッフも思想的に同罪です。ひょっとしたらMOWスタッフは、概論の「血統至上主義」で触れた、先天的な環境の差からくる生活水準の違いに疑問を感じて、アンチテーゼとしてカイン(の理想)を作中で語ったのかもしれません。ですが、結局二重の意味で「先天的な条件に恵まれた人間以外に全く価値はないので、虐げても殺しても良し」と言った事になります。この論理には反感しか感じませんので、「たかがゲーム」と妥協して許す事は出来ないのです。
キャラやシステム的にも、KOFはまだ、今や会社を代表するオリジナル人気キャラとチームバトルという新ジャンルを自分達で拓き育てましたが、MOWに至ってはそれすら見つかりません。一応は格ゲー老舗タイトルではある、今まで人が作り上げてきた作品と設定の上に乗って、他のクリエイターが作り上げた人気キャラやシステムを模倣してそつなくなくまとめあげ、安直極まりない没個性な受け狙いキャラ&設定をこれまたそつなくまとめただけです。無理矢理に餓狼伝説と繋げて作った設定以外、オリジナリティは見あたりません。パクリは結局どの会社のどの作品にもありますけれど、少なくともキャラ全員とシステムが何かしらと被るというのはちょっと…(蛇足ですが、ですから私は直接プレイした経験がないのですが、BB掲載の『ザマス』には唖然としました)。
パロディというのは「元ネタ」がある時点でオリジナリティを放棄しているので、面白さは「その元ネタをいつどこでどの様に表現するか」という使用法のセンスに掛かっています。ただネタをガンガン注ぎ込めばいいというものではありませんし、はっきり申し上げて、そういう「センスのないパロディ」はつまらないです。そして、少なくとも個人的な評価として、SNKのパロディはド下手糞です。
模倣は創作のためのステップであって、模倣が表現としてのメインになってしまっては本末転倒です。中途半端にやる位なら、いっそ徹底して、ダン ヒビキ氏くらいには開き直ってもらいたいものです。
最も、制作スタッフがそこまで考えて作っているとは到底思えませんが。そもそも公式HP〈注1〉で、『ゲームを作った充実感は少なかった』と言ったり、キャラ重視で何でもありの世界観を『餓狼だ』と言い切ってしまう人達ですから(※1)。
公式ムックの開発者インタビュー〈注2〉においては、いくらかパブリックな応対になっており、
『より多くの人に受け入れてもらえる世界観というものがあり、格闘ゲームにおける世界観は主人公がその大部分を担っている。今回でいうならロックなので、ロックの様なキャラがいてもおかしくない、またいなければならない世界というものを第一に考えた』
とコメントしています。
しかし、まざにその『ロックの様なキャラがいても良い、いなければいけない世界』こそが、既に「餓狼」ではないのです。そういう世界観を『より間口の広い世界観』と考え、そういうキャラを主人公としたそういう作品をお作りになるのは構いませんが、ならば新作で良かったのではないでしょうか。少なくとも、それまでの「餓狼伝説」の全てを否定するものでしかないこの世界観を、何故わざわざ「餓狼」の新作でやらなければならなかったのでしょうか。個人的には現代に転生した月華キャラによる新シリーズでも十分だったと思うのですが。
更に言えば、『より多くの人に受け入れてもらえる』と制作側が考えたキャラと世界観は、ロックファン自らにまで「狙いすぎv」と評され、世界観をそれ程気にせず、あくまでもプレイ面を重視するユーザーをして「ギース技フィニッシュ後の喘ぎ声にはひいた」と言わしめました。実際、MOW発売直後に某Boys Love専門ラジオ番組〈注3〉にて『今まで格ゲーに興味なかったけれど、テリィというおじさんとラブラブのロック君という主人公が可愛いので挑戦してみようと思います。ロック最高!!』という投書が採用されました。知人のとったテープを直接聞いたので間違いございません。ショックでした(笑)。その知人も、餓狼がこういう作品になった事には流石に退いたそうです。私にはこの反応からは「受け狙い」という結論しか導き出せませんし、こういったロックのキャラメイキングを、制作側曰く『万人に受け入れられる世界観の中心人物』と本気で考えているとすれば、表現者としてのセンスを疑わざるを得ません(プロフィールと外見からして狙っているのは明らかなんですけれどね)。
実際、ロックへの『かなり、お姉さま好みのキャラだと思います』〈注4〉、ほたるへの『お兄ちゃんと言わせすぎ』〈注5〉という、受け狙いを意図して作っている事を漏らしてしまったコメントも見られます。
一方で制作側は『ラインとキャラクターの古さが間口を狭めている』〈注6〉として、旧作をファンともども切り捨てました。ですが、ラインはまだしもキャラについては、旧作スタッフの罪(↓)を棚上げにしないで頂きたく存じます。
〔1〕新キャラ制作の際のキャラメイキング&それ以前に登場したキャラメイキングの受け渡し失敗による不信→キャラの「人間性」による魅力を伝えよう・知ろうとしなかったorできなかった。
〔2〕人気の減退に伴い原作シリーズでKOFに迎合してキャライメージを変え→新しい魅力を作り出そうとしなかったor出来なかった。(例:RBDのキャラメイキング&世界観の設定・既存キャラへのKOFオリジナル技導入(※2)
『餓狼も月華も…そして龍虎も同じ仲間内での開発なんですよ。』〈注7〉とおっしゃるのなら、引継をもう少ししっかりして頂きたかったです。
そもそもMOWスタッフは、「伝説」時代の餓狼をどれだけ知っているのでしょうか。知る努力をしたのでしょうか。私は制作スタッフは「餓狼伝説」を“知らない”、そして知る努力を“怠っている”と考えます。理由は以下の通りです。
MOWムックでは、グリフォンのコメントとして『餓狼には投げキャラがいなかった』〈注8〉、『グリフォンは餓狼には珍しい投げキャラ』〈注9〉とありました。それはつまり、十平衛やベアや3版マリィ(RBS裏マリィ)やつぐみは投げキャラではないという事ですね。だいたい投げも含めて、グリフォンの技は投げ以上に空中殺法の方が多くないですか。そして何故あの体で空中殺法が使えるのでしょうか。それが開発側の言う「こういうキャラがいなくてはいけない世界観」ですか?(本当はグリフォンは好きなキャラなのに…批判のやり玉にあげてごめんなさいグリフォン(T_T))。
また『ロックが主人公でなければジェニーは出せない』〈注2〉とも言ってましたが、私にはキャラ的に舞+マリィ+香緋、技的に+アルフレッドにしか見えないのですが、どこがどう『MOWでなければ出せない』キャラなのかがわかりません。また、そうコメントする一方で、同一人物Y.ODA氏(←注目!)が『牙刀が詠酒のない香緋で、ジェニーがリンゴのないアルフレッドですね。』と、ジェニーや牙刀〈注10〉の没個性性を認めています。例えばほたるや天翔乱姫が『伝説では出せなかったMOWオリジナル』というなら、まだ納得ですが。まぁこの辺りは解釈次第で変わる部分ですね…。
ただし確かに、ロックはMOWという作品の在り方を、如実に示したキャラとなっています。
テリィはMOWで、「餓狼」という形容詞と、ギース様との闘いの記憶を引き継いだ「伝説」という呼称を持つ唯一の登場人物になってしまいました。対して、主人公であるロックは、自分でも他人からも「ギース様の血」のみが強調され、結局「餓狼」とは見なされておりません。また、ロックに限らず、MOWにおいてテリィ以外のキャラで「餓狼」と称された人物はおりません。私が確認した限り、MOWストーリー及び裏設定、各キャラ紹介&ゲーム中ストーリー&勝利メッセージにおいて、「狼」と称されたのはテリィただ一人です。それどころか、かつて開発スタッフをして「真の餓狼」と言わしめたギース様ですら、ロックを通して「血」を強調された存在になってしまっています。
つまり、「餓狼」の名を冠する“正当な続編”なのに、「餓狼」という形容詞が使えない作品なのです。10年という歳月の隔たりだけでは説明出来ない程に「伝説」時代との断絶が大きいですし、制作者自身がその溝を埋められない(説明を放棄)している作品に、餓狼シリーズ面をして欲しくない、というのが本音です。
更に詳しく申し上げるならば、「MOWという作品」というよりは「MOWという未来」という方が正しいですね。個人的にはMOWは餓狼ではないので。敢えて申し上げるならば、SNK公認の「月華スタッフ制作の餓狼同人」作品でしかありません。制作側が言う以上は、オフィシャルでは確かに「餓狼伝説」の続編ですが、「餓狼伝説」を知らない、「知ろう」とすらしない制作者に「伝説」時代のファンが異議を唱える事にどうこう言って欲しくありません。
RB以降、少なくとも作品のメインになる所は、意識的に初代餓狼の開発スタッフを避けていて、例えばRB2の時香緋を担当したのは、全く餓狼を知らない人だったらしいのです。が、その方は知り合いの餓狼ファンの人に餓狼の事を聞きに来たそうです。逆に言えば、RB2の香緋担当者は、今まで人が作り上げてきた作品と、その作品を支えてきたスタッフやファンへの気配りがあったからこそ、それを考慮した上で「餓狼」の世界観に新たな要素を加える仕事をするべく努力なさっていたと言えます。しかしMOWスタッフ〈注11〉には、それが全く感じられないのです。大幅に変更を入れた設定への質問への回答もいいかげんですし。(例:『ちなみに初登場の時は黒髪でしたが、細かいことは気にせんでください』〈注4〉)
それ以前に、以下の発言からは、世界観や設定面でのファンの戸惑いや反発を、最初から相手にしていない事が伺えます。
『(中略)伝統的な部分を崩していくという挑戦に出ました。
そこで本作のコンセプトとなるわけですが、“さくさく遊べて、疲れない”です。
つまり、攻めが楽しくいろいろ出来るというソフトにしようと考えました。
(以下略)』〈注6〉
確かに、「餓狼伝説」は一格闘ゲームに過ぎませんから「最初から餓狼伝説なんてその程度のものだ」と言われてしまえば、それまでの事です。そして、ある意味プレイ面の充実をメインとしたと言えますから、その意味では正しい姿勢です。しかし、他の人を不快にしない、他人に迷惑を掛けない限りにおいて、どんな遊び方をし、どんな評価をし、どんな気持ちを抱くかは、プレイヤーの自由です(他人との対戦や自分の考えの発表でしたら、自分の発言や行動に責任を持たなければいけませんが)。『気軽に遊んで』とお願いする事はできても、強制する事はできません。『議論めいた難しい議論』をし、『“楽しいおもちゃ”』としてではない価値を餓狼に見いだすのも、プレイヤーの自由です。
そしてMOWファンも含めた決して少数ではないファンは、世界観やキャラメイキングのずさんさに対しては酷評をくだした訳です(MOWファンでもMOW設定へのクレームに理解を示している方や自身も戸惑いを感じた事を表明している方のHPも、複数存在します)。その事実をMOWスタッフはどう受け止めているかは存じませんが、自分達が作った作品である以上、自分達で責任をもって欲しいとは思います。
要は、旧作を否定する、旧作ファンの神経を刺激する事をしている過程やその後の対応が、とてもいいかげんなのです。確信犯というより、何も考えていない無神経さしか感じられず、その無神経さで、思想的にも許せないものを「オフィシャル」として餓狼を貶めたからにこそ、怒りを禁じ得ないのです。ムックの『多くの一般ユーザーを惑わすような意見や荒らしはやめて』というコメント〈注13〉は正論です。正論ですが、からかいではない怒りの声を納得させられるだけの姿勢・努力の欠落への自覚が見えない以上、納得できない人間にとっては、説得力に欠ける部分はあるのです。
また、ストーリーテラーとしても相当いいかげんだったと思います、MOWに限らず後期餓狼スタッフは。
「死」は、その対象との現実世界での永遠の別れですから、残された者にとって人生の最大の記憶・波紋の一つになる事も少なくない事柄です。それだけに、ドラマ作りにこれ程手っ取り早い方法もないと思います。クリエイターならば、作品中で誰か・何かを殺すなら、その存在が消えた後の物語を、尚更自力で作り上げていかなければならない筈で、それも出来ない・やらないのに、安直なネタ作りとして人殺ししている作品を見ると、不満・不信・反発が募るのを禁じ得ません(これはMOWだけの責任ではないですが)。
自分達の都合でギース様の殺しておきながらその後も幾度となく客寄せとして使い回した上に、「ただの人間」であるギース様自らが築き上げた人生、自ら獲得した強さ(技も力も)の全てを「血」一言で片付けられた挙げ句、ハワードを名乗って技を使っている癖に父親嫌いを公言し、結果としてギース様を突き落としてしまった直後のテリィによりにもよって喧嘩をふっかけた存在の引き立てに使われた事は、正直ショックです。
ギース様の人生も、「ただの人間」故に醸し出されていた彼の強さの説得力〔実力〕も、かつて「餓狼伝説」が持っていた「現実の裏付け」のリアリティによる深みも完全にぶち壊して、ギース様やテリィが「人間」から単なる「2次元キャラ」に(しかもギース様は「化物」に)貶められた事が、たまらなく許せないのです。ギース様の存在も死も、テリィの痛みも、何より餓狼伝説がこの程度のものになり果ててしまったと思うと、やりきれなくて、ただただ悲しくてなりません。
企業である以上、利益追求は当然の事ですけれど、人からお金を取る以上、クリエイターとして最低限自分達の作った作品に責任を持つ事も仕事のうちです。そして自分達の作品に対しての責任を放棄した時点で、開発者としての姿勢を問われても仕方はない、というのはユーザーのエゴでしょうか?