オロチ一族:「キャラごとに異なる/×/○」
“キャラとして嫌い”なのはレオナ位で、ゲーニッツ・ガイデルはOKですし、マチュア・バイスに至ってはSNK女性キャラでもトップクラスに好きです。しかしここではキャラとしての好き嫌いよりも、主に思想面・人格面での「反発」を挙げていきます。対象は主に“オロチ仕様”のキャラ(暴走2人・オロチver.ニューフェイスチーム;除ノーマルver.ニューフェイスチーム)です。
(1)少なくともKOFに出てきた限りでは、八傑集(=一族のトップ)は白人と日本人、しかも一部を除いて先進国の住人として文明社会の利益を謳歌しています。ニューフェイスチームのプロフィールを見れば、趣味や大切なものにはバンド・旅行・映画鑑賞・ペット飼育やパソコンと、いわゆる「途上国」から各種資源を吸い上げて富を得ている「先進国」の文明社会に染まりきっています。そもそも職業からしてフリーターやデザイナーや生徒ですからね。(バンドメンでブランド好きの庵も同様)
(2)対神器チームのデモから、彼らは闘気だけでなく人間の負の感情も、オロチ復活のエネルギーとできる事が伺えます。しかし彼らは、人間の持つ様々な負の感情に溢れた「場」であろう戦場やテロ現場やスラム等には行っていません。「こぎれい」な世界にしか行かない・経験したがらない、「こぎれい」なパワーしか欲しがらない、本当にむごい世界は無関心から来る無視を決め込む。典型的な「今時の若者」ですね(この「今時の若者」という言い方にも私は納得しておりませんが)
(3)つまり「堕落しきった人間共」の文明社会に甘やかされ、更に人間社会の「地獄」の側面を知らず危険に関わろうともしないのに、自分達が依存しきっているものに対して「どうしようもなく堕落しきっているから滅亡しろ」と言っている訳です。だからこそ「カルトっぽい」という軽い口語的表現のレベルにしか至りませんし、そんなカルトオタクに、サウスタウン勢に対してどうこうと説教たれて欲しくないのですが。
(4)クリスを寄り座しとして目覚めたオロチは「全ての人間の意志が見える」と言いました。という事は、現状に浸りきって楽している自分の一族の事を棚に上げて、私が冒頭で述べた相互理解なり環境保護なりで「努力し、行動している」人々全てを否定した事になります。
(5)そして彼らが「こぎれい」な世界にしか接しないのはおそらく、人間滅亡という目的が自分の意志ではなく「一族の宿命」だからでしょう。また、自分の意志で行動したマチュア・バイスはその「裏切り」の次の瞬間に、オロ血をひく存在を介した「暴走」という名の「血」の力によって死んでいます。またガイデルもオロチ一族として人間抹殺を遂行する事を拒否したために、やはりオロ血をひく自分の娘の「暴走」によって死んでいます。自分(の力)に従う事を強制し、逆らった者は即殺すというオロチ〔オロ血という遺伝子?〕の意志は、むしろ人間の権力欲・支配欲・むき出しのエゴそのままです。
「地球意志」がこんなだから、その上に芽生えた人間もこうなったんじゃないかと個人的には言ってやりたいですが、とにかく彼らは自分達の事は棚上げです(余談ですが、生まれて初めてアクシズ落としを支持したくなりました。KOFにおけるオロチ=地球意志は「人間の魂を引っ張る重力」そのものですものですから。)
逆にマチュア・バイス・ガイデルを支持できるのは、オロチに強制された「宿命:前世から定められた、避ける事も変える事もできない定め」を拒んだからです。その結果としての「運命:人間の意志にかかわらず身にめぐってくる吉凶禍福・めぐりあわせ。転じて将来」が死であった事が残念でなりません。(単語の語義は『岩波国語辞典』より)
また、ゲーニッツはいいんです、宗教家ですから。宗教にはどこかしら現世否定がつきまとうものですから。そして彼はオロチの宿命を自らの意志に昇華してますから、筋は通っています。悪役としてのキャラの魅力を感じられます。
山崎は問題外。KOF開発側の都合(餓狼スタッフに許可をとっていても、KOF制作側の都合だった事は事実)でオロチにされた挙げ句、「一族のツラ汚し」って言わせますか、開発すたっふノ皆様(憤怒)。
神器の御三家:基本は「○/×/○」
キャラとして好きになれないのは草薙君くらいのもので、実は庵・紫舟・ちづるは好きだったりします。けれど、96・97での、京・庵・ちづるの振る舞いには不満を感じました。よりを戻せたのが、京や庵ファンには不評のネスツ編というのが皮肉ですが。彼らへの反発は主に、概論で申し上げた「血統至上主義」の側面が大きいです。
草薙 京:オロチ編「×/×/○」、ネスツ編「△/△/○」
最初は、旧家の跡取りで人生経験を積んでいなくて青臭いけれど、突っ張ってカッコつけたい年頃なのだなという事で、「好きではない」という程度で否定派ではありませんでした。また95(おまけして96)までは「自分が闘いたいから闘っているだけ」という姿勢は、「たまたま草薙の家に生まれたから草薙流古武術を使っているだけで、もし草薙家の子でなくとも格闘はやる」という、斜に構えてみせても、それなりに格闘への情熱も持っているのだなと思えました。
けれど96辺りから「草薙家の歴史」に格闘家としてのアイデンティティを求める様になり、97では「これが草薙の拳」「歴史が違う」とまで言う様になりました。私は「血」や「生まれ」や「旧家の歴史」にしかすがれず自分自身で自分の価値を作ろうとしない怠惰〈注〉は支持できないので、「草薙」に拘る様になった京には反発を感じました。概論でも触れた様に、精神修養でない格闘をやる以上、本人の強さだけが全てだと思っています。ですから闘う人間にとっての強さに繋がる「歴史」は本人の経験に他ならない筈です(そもそも古さで言ったら、たかが1800年の歴史しかない草薙流より永い歴史を持つ格闘技は沢山あります)。本人は無自覚でしょうが、親戚にうるさく言われて悪化した状況に流されているだけなのに、うまくのせられて自己陶酔し、自己満足している様にしか感じられませんでした。「弱冠二十歳の身で人類を救える唯一の格闘技を使い、抗えない宿命に目を背けるのを辞めて自らの意志で運命に挑み、人類の存続を背負って闘っている自分は、他のノーテンキな格闘家よりも遥かにシビアな人生だけど偉くて格好良い」という自己陶酔。
しかし、「草薙」に依存する事で満たされていた彼は、ネスツ編においてその遺伝子故に捕らえられ、実験材料にされ、家族にも友人にも恋人にも会えず、「安住」から切り離された日々を送る事になります。人間扱いでない仕打ちを受けた上、未だに日常生活に帰れない彼を見ていると、同情を禁じ得ません。しかし、辛い経験となりましたが、ネスツの一件は彼を成長させる人生経験となったのでしょう。キャラとしての好感度は上がり、再び「好きではないキャラ」に昇格しました。
一番の変化は、「草薙」ではなく「京」であると感じられる様になった事です。一言で申し上げれば“宿命に従う生き方”から“運命を掴む生き方”への転換です。「草薙」の力を奪われた事・沢山の「草薙の拳を振るう存在」が量産された影響もあるのでしょうが、格闘スタイルに「+我流拳法」という変化が現れ、闘う理由も「ネスツへの復讐」と、久々に「自分の意志で闘っている」彼を感じられました(でも94・95の頃とは趣が全く違いますが)。現状も決して良くはありませんが、「ネスツを潰す」という目的には、状況を好転させるという意味も含まれますから、そう言う意味でももうヒロイズムに満足している彼はみられません。「一皮むけて大人になったね」という所でしょうか。
八神 庵:「○/×/○」
95当時は好きでした。家の因縁で京への憎悪を募らせている事にはひっかかりがありましたが、20年間ひたすら、先祖のせいで自分が経験していない憎悪を刷り込まれる教育をされてきたであろう事を考えると、京にはない「哀」を感じたのも事実です。またチームストーリーで早速人殺し(!)をしている事やバンドメンという事もあって、京に感じた「旧家のボンボンの青臭さ」は感じませんでした(こっちの方が人生経験の積み重ねを感じたとでも言えばいいでしょうか)。名前をあくまで「京」と呼んでいる事からも、「家の事は関係ない」と言い張るこだわりが見えました。でもどちらかといえばキャラ的に面白いヒトでした。京への執念的な「憎悪」といい動きといい衣装といい、こだわりは凄く良く見えるけれど、それがかえって良い意味で抜けている印象が感じられて、狙って作り上げられたキャラクター像のとんがりを緩和して、いい味がでているキャラでした(私だけでしょうか?こんな庵評)
96・97(・98)における「拒絶理由」はオロチ一族と同じなので省略。それでも96当初は羨ましかったですよ。飛び道具全般が弱体化している中で飛び道具健在で性能最強キャラで、チームメンバーも高性能orハメ持ちの秘書s(←my SNKベストヒロインs)と良い女に囲まれた小ハーレム状態で。チームストーリーも京がのされているのに対して秘書sに誘って貰えて、「チームなんか組まない」と言いつつマチュアに背中から手を回されて「フッフッフッ…。よかろう……。」なんて言ってしまう辺り、この世の春を謳歌していて羨ましい限りでした。
そして99において、97神器チームEDでオロチ&草薙vs.八神の因縁にもひとまず決着がついたのに、なおも「京」へのこだわりを捨てていない彼がいたので、「家の事は関係ない」と言い張るこだわりが本物であると確信できました。もう我が道を突っ走ってくださいという感じです。血の暴走もなくなり、元気そうな彼が見られるので、何だか安心できます(^^)。
すこし真面目な話になると、「自分の人生を捨てた、特定個人に向けての復讐者」という点で、テリィ兄貴との共通点が見えるのですけれど。
神楽 ちづる:「○/×/○」
美しくて気品があって知性的なのに変な踊りを踊ったりチキンレースしたり、庵以上に味のあるキャラで大好きです。
それでも、オロチ退治の理由が「神器の御三家に生まれたから」という部分は、納得できませんでした。確かに、神器の御三家がやらなければオロチを倒す手だてがない=他に出来る人がいないという設定上、責任放棄になります。ですが逆に言えば、「神器の一族だからやらなくてはいけない」という論理からは、もしそうでなければ、サウスタウン勢の様に「自分達には関係ない」という姿勢に転じてしまう気がしてならないのです。つまり彼女の対オロチ感情も、ニューフェイスチームと同じ様に「自分の意志」ではなく「一族の宿命」だからという部分が多分に感じられます。(ゲーニッツに対してはまだ「姉の仇」という自分の感情が見えたのですが)
神器の御三家に生まれたという“宿命”故に、打倒オロチという“運命(将来)”を実現するために奔走しましたが、もし神器の“宿命”を背負っていなかったなら、彼女は果たして「オロチを倒す」という“運命”を掴むための努力をしたかどうかが疑問なのです。
ネスツ編:「○/△/△」
全般的に不評の多いネスツ編ですが、私がこちらの方が支持なのは、オロチ編で現れてしまったテーゼ(社会に依存したカルトまがいの反社会的思想・血統至上主義)が発揮したパワーを、その「人類のテクノロジー」でもって逆に自分達の利益の為に利用した事です。「科学」を使ってカルトと血統至上主義に復讐したといってもいいでしょう。キャラ的にも、人間扱いどころが、ただの殺人兵器という“道具”として、生き物扱いすらされていない登場人物たちに、オロチ編の京などとは比較にならない「悲しみ」を感じるのです。その割に楽しいといいますか勘違いしているキャラが多いのも素敵です。バカゲー的な部分と申し上げればよいでしょうか(←皮肉でなく、本気の誉め言葉で)
そして今の所は、ネスツ側に対しての称賛がなく、あくまでも「危険」であり「悪」という扱いをされている所も、ネスツ編を支持できる理由です(つまり「○/×/×」)
でも一番好きなのは94・95・98の「教官vs.ルガール」編ですけれど(違)。KOFの真の主役はハイデルンですから!!(勘違い)
餓狼・龍虎キャラinKOF:「×/×/無頓着」
現在まで続く一番の大問題は、とにかくキャラを歪められて、ただのピエロにされている事です。別に餓狼・龍虎の本編ではないのですから、脇役にまわるのは全く構いません。でも、同じ会社内とはいえ他のクリエイター達が育ててきたキャラなのですから、せめてキャラメイキングには気を遣って貰いたかったです。色物担当が欲しいなら、何でわざわざ別の作品のキャラ(龍虎)をそこに充てる必要があったのでしょうか。
ちづるの項目で触れた「オロチに無関心のサウスタウン勢」というキャラメイキングも納得してはおりません。私がオロチを徹底的に拒絶しているせいもあると思いますが、こんな甘えた論理で、自分の大切な人或いは自分の利益を侵害するものに対しては、例え直接討つ事はできなくとも闘うと思うんですけれどね。サカザキ一家やボガード兄弟は、愛する人が目の前で無惨に殺された経験あるんですよ。ハワコネの方々は自分の組織のために人殺すのもザラなんですよ。山崎も、自分の仕事の邪魔にしかならないでしょう、オロチ一族という設定は。更に言えば、自分の実力でサウスタウンの覇者となったギース様が、オロチという得体の知れない不確定な「力」に興味を持って手を出そうとしたという設定も不満です。RBで秦の秘伝書燃やしてるじゃないですか!!
まぁKOFに限らず、MOWスタッフもCVSスタッフも同じ事してますからね…(涙)。
開発スタッフ「人間関係なし/×/○」
エディットチームのEDにおいて、実質的なオロチ論理称賛メッセージを送っているので問題外です。
制作面にしても、人様の作品(キャラでもタイトルでも)を自分達のキャラの「引き立て役」に使っておいて、その使われた方の作品のファンや開発者への気遣いが今一つ(否、八つ位はあるかも)である事です。
それと、私は昔からファンタジーは大好きですが、ファンタジーなら最初からファンタジーとして作り込んだものでないと、練り込みが足りなくて嫌になります。後からとってつけただけのモチーフは、むしろ中途半端でうざったくてイラつくだけです。これもKOFに限った事ではありませんが。神話関連の設定面だけみても相当ボロが見えるのですが、それに対してのつっこみは単なるオタクの揚げ足取りになるだけですから致しません。また、細かい事を言っていくと世の中の大半の創作ファンタジー否定になりますし、オリジナルの展開によって独自の世界を展開しているファンタジーも数多く存在します。
要はファンタジーとしての質が良ければ=面白ければまだいいのですが、残念ながらそうではないので(好きな方、申し訳ございません)。
96以降の客演キャラの扱い方にもかなり不満があります。1から創り上げるキャラならともかく、既に完成しているキャラにはもう「そのキャラのイメージ」というものがあります。その上にパロディを上書きするというのは、原作側の制作者とファンを馬鹿にするだけの行為でしかありません。しかもピエロに仕立て上げられる位なら、いっそ出さないで欲しいと切実に感じ始めたのも97ごろからです。
システムやプレイに関しては、96・97はやり込んでいないため、私にはとやかくいう資格はございません。
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〈注〉何も有名人になるとかではなく、自分で自分を養えるというだけで構いません。現時点でそれができない状態(例えば身障者)でも、そういう目標に向かって努力しようとする事はできます。