【“悪口”概論】KOFオロチ編(96・97限定)・オロチ/餓狼MOW・カイン R ハインライン

 まず、私にとっては「好き嫌い」という感情と、「善悪」〔賛成・支持・共感・信頼・納得・肯定・認可vs.反対・不支持・反感反発・不信・不満・否定・拒絶〕の評価は別のものです。そして、私自身は「好き嫌い」よりも、「支持・不支持」の方を重視しております。つまり「好き嫌い」が一致しても「支持・不支持」が不一致な人より、「好き嫌い」が不一致でも「支持・不支持」が一致する人の方に共感を抱くという事になりますし、実際そうなのです。(ですから「私は好き/でも支持できない」キャラに対して、制作者やファンや世論(笑)等の評価も「不支持」ならば、そのキャラ(2次元でも3次元でも)自体は好きでいられる、という事もございます)
 今回の投稿で“悪口”側に投稿させて頂きます作品・キャラ群は、「私の好き嫌い/私の支持・不支持/制作側(&ファン)の支持・不支持」が、いずれも「×/×/○」となる存在ばかりですので、基本的にはこの「私の支持・不支持」の理由を中心に申し上げたいと存じます。また「×/×/○」評価のキャラや作品について述べさせて頂く際には、「好き嫌い」と「支持・不支持」の使い分けを致しますので、パラグラム冒頭の「好き嫌い」と「善悪」についての御説明を頭の片隅において頂ければ幸いです。

 異質な他者への蔑視や身内びいき・自己正当化といった心理は、自分(達)をまず残そう、生存競争で他者に勝とうという、ある意味「自分(の種)の遺伝子を残す」という本能から来ているものなのかもしれません。ですから、基本的に人間は愚かな生き物である事からは逃れられない、戦争や犯罪や差別や人殺しはおろか、環境破壊といった自らの破滅を招く行為がなくならない、というのは一面の真実ではあるでしょう。
 しかし、その犠牲を減らす事や、減らそうと努力する事はできます。現状で「人類全体がニュータイプになる」事(by管理人様)が出来ない以上、NTが一瞬にして出来る相互理解の何千万分の一を、一生かかって努力して築き上げるしか、今の私達にはできません。
 そして世の全ての出来事において、事実は1つですがその解釈によって善悪の評価は変わるものですなので、例え絶対に賛同できないとしても、自分と異なるor反対の立場からでないと見えない側面は必ず存在します。だからこそ批判・否定はしても存在の抹殺をしてはいけないと思ってますが、現在に至るまで現実の歴史においてさえ、「正しくない」人間は価値がない、生きる価値がないなら殺していい、主張も無視していい、という論理は存在してますね。そしてこの論理展開は、前述した「努力」への阻害や放棄にしかなりません(=いつまでたっても現状は改善しない)。
 オロチ編とその関係者、及びMOWとその主催者であるカインに特に反発と不信しか感じられないのは、オロチの人間抹殺論やカインの「理想」は、当にこの論理展開をしているからです。だからこそキャラの好き嫌いを超えたレベルで、彼(ら)の主張を、それを唱える彼(ら)を、そして作中でその論理を否定せず一面の真理としているKOFオロチ編(96・97)やMOWという作品を許せないのです。更に言えば、両者の共通点として「6流カルトっぽい」事が挙げられます。彼らは、彼らが否定する文明社会、現状の社会にどっぷり浸かってその利益を享受しています。自分達が恩恵を受けて楽をしている「堕落した存在」であるにも拘わらず、それを否定する事で自分達は「正しい」という自己満足に浸っている訳です。しかし現状に甘えた楽な生活からしてませんから、自分達の「理想」を叶える為に、結局は自分達が「悪」とした社会の利益を利用してしか行動ができていないのです。
 一言で申し上げるなら、オロチ一族やカインは、彼らの言う「堕落しきった人間ども」と全くの同類です。そして同じ穴のムジナなら、人殺しをしない「腐敗した人間」の方がまだマシです。「行動しない」より「行動する」方が遥かに価値がございますが、人殺しに繋がる事だけは別だと考えておりますので。

 また、「一族」や「血」の宿命を強調される血統至上主義にも反発を感じます。そもそも、精神修養でない実戦としての格闘をやる以上、その人の生まれや格闘技がどうであれ、本人の強さ、勝利だけが、価値判断の基準となる筈です。強さが全ての世界において、技やその使い手に「由緒正しさ」を求めても意味はなく、例え「由緒正しい」技を使う、格闘家としての「サラブレッド」な使い手であっても、勝てなければそれで終わりです。逆に何処の馬の骨とも知れないチンピラの我流の喧嘩でも、勝てば「勝利」という目的を達成した事になります。これは闘う理由が、強さの追求であれ人間関係の怨恨であれビジネスであれ護身であれ何であれ変わらないと思います。
 しかしこの2シリーズでは、「血」や「一族」がことさらに強調されます。それも(半ば強制的に)「闘う〔わされる〕理由」や「強さ」の根源として。そして目的遂行は、「特定の遺伝子」を持った者しか達成できません。オロチの人間抹殺然り、神器のオロチ狩り然り、カインの遺産せびり然り。そしてそれは、「血」によって選ばれた者とそうでない「一般人」に明確な線引きをするものです。しかし遺伝子は、格闘に限らず体格やセンスを決めるだけのものであって、そのキャパシティの中でそこから先何をやるか、その選んだ道で何処まで昇りつめられるかは本人次第(※)ではないでしょうか?
 結局の所、「この生まれの人はこういう事しかしてはいけない」ですとか「あの人〔家〕の子供だから」ですとか「犯罪者の身内だから」ですとか、そういう決めつめに反感を感じるという事です。繰り返しますが、先天的に与えられたキャパシティや環境の差は厳然としてあります。しかしその範囲内で何処まで行けるか、どういう人間になるか、どういう人生を送るかは本人次第、後天的な要素です。その「何処まで」や「どういう」までもを先天的な要素で全て決めつめるというのは、差別や怠惰に繋がるものでしかありません。

※念のため申し上げさせて頂きますが、努力すれば必ず報われるとは全く思っておりません。ただし、やろうともしないで「出来ない」という姿勢は支持できません

以下、選択
 KOF
 MOWスタッフ:「人間関係なし/×/○」
 カイン R ハインライン:「×/×/○」
 ロック ハワード:「×/×/○」

好意意見
 餓狼伝説